講師派遣

  1. ホーム
  2. 講師派遣
  3. スポーツ
  4. 飯島 健二郎
飯島 健二郎

飯島 健二郎(イイジマ ケンジロウ)

肩 書

リオデジャネイロオリンピックトライアスロン日本代表監督
(公財)日本オリンピック委員会ナショナルコーチ
(公社)日本トライアスロン連合常務理事
トーシンパートナーズチームケンズ監督

専門分野

人材育成/組織論/挑戦/目標達成/指導論/五輪

プロフィール

日本大学を卒業後、教員となったが、怪我のリハビリで始めたトライアスロンで勝負することを決意し、退職。
日本トライアスロン界のプロ第1号として活躍。現役引退後、世界での戦いを視野に指導者として活動を始めた。
トライアスロンがオリンピック正式競技となった2000年シドニーオリンピック以降、アテネ、北京、ロンドン、リオデジャネイロの全大会で監督、コーチとして指揮をとり、北京オリンピックでは井出を5位入賞に導いた。
また、アジア競技大会では2010年広州大会では男女ともに金・銀メダルを独占(4人出場の4人の完全制覇)、2014年仁川大会でも男女ともに金・銀メダルを独占、さらにミックスリレーでも金メダルを獲得し、5人出場の5人全員がメダルを獲得する完全制覇を成し遂げた。
2010年シンガポールユースオリンピックでも佐藤が金メダルを獲得、2014年南京大会でも久保埜を5位入賞に導いた。

経 歴

1959年6月13日。東京都出身。
1959年 東京生まれ。日本大学文理学部卒業。
1982年 日本大学付属第二高等学校の教員として赴任。
野球部顧問として甲子園に出場、ベスト16に進出。
1984年 水泳部顧問として、部創立以来のインターハイ出場に導く。
1986年 日本大学付属第二高等学校を退職し、プロトライアスリートを目指す。
1987年 プロトライアスリート第一号として活動を始める。
1988年 (株)ケンズを設立。(トライアスロン大会開催、チーム運営、スクール等)
1989年 チーム・ケンズを結成。現在の指導者、トップ選手として活躍している選手の多くを輩出。
1998年 現役を引退。
2000年 シドニー五輪トライアスロン代表監督。
2004年 アテネ五輪トライアスロン女子ヘッドコーチ(男女総合監督・三宅義信氏)。
2008年 北京五輪トライアスロン代表監督(井出樹里選手5位入賞)。
2012年 ロンドン五輪トライアスロン代表監督。
2014年 仁川アジア競技大会トライアスロン代表監督。
2016年 リオデジャネイロ五輪トライアスロン代表監督。

主な講演テーマ例と概要

どう暮らすかより、どう生きるかを追い求めよう
強豪野球部の顧問として甲子園出場、その後教員免許を投げ捨てプロアスリートとして闘ってきた飯島氏。また、現役時代だけではなく、現在も日本代表を率いて世界を転戦してきた経験や、引退直後は協会関連の仕事があったにも関わらず、「働く意味とは何か?」を追求し、自ら地下鉄工事の作業員として100日間働いていたエピソードもある。
勝つこと、強くなること~プロトライアスリート草分けとして、そして指導者として~
3つの種目を一人でこなす過酷なスポーツ「トライアスロン」は、練習をただ積むだけではなく、最後は自己との戦いに勝たなければならない。苦しさの中でも冷静な判断が必要となってくる。国際人としても通用する自立した選手を育てるためには何をすれば良いのか。自ら世界に飛び込み、世界で学び、プロトライアスリート第一号となった飯島氏が選手時代にどのように自信をつけて来られたのか、また指導者として何を考え実践しているのかお話しする。
ナショナルチームの監督は中間管理職
~時代と共に多様化するマネジメントスタイル~
代表監督といえども連盟や選手、さらには選手の所属チームなど様々な人々の間に挟まれ、その苦労は絶えない。また女子トライアスロンチームの監督としても女子アスリートのマネジメントという非常に難しい課題に立ち向かってきた。まだ歴史の浅いトライアスロン界を選手・指導者として牽引してきた飯島の苦悩と、いかに克服し立ち回ってきたかを皆様にお話し致します。
トライアスロン日本代表監督に学ぶ安全管理~トラブルを未然に防ぐ~
スポーツにケガはつきものです。まして、水泳/自転車/ランニングを一人でこなすトライアスロンでは、一瞬の判断ミスや気の緩み、集中力の欠如が取り返しのつかない大事故に発展してしまいます。そのようなトラブルを未然に防ぐ為には、状況を正しく把握し、次に起こる自体を想定する力、すなわち「予測する力」が、とても大切であり、この「予測する力」は、一流のトライアスリートにとって必須の条件と言っても過言ではありません。講演を通じて、一流のトライアスリートが実践する「予測する力」を身につける日々の思考法やトレーニングについて、一般の方でも分かり易く、実践し易いエピソードを交えて語ります。

主な実績

・オシュマンズ原宿店
・西武スポーツ館(武蔵野市吉祥寺) 計6回
・ヴィクトリア(神田) 計12回
・武蔵野市 計78回
・スポーツフォーラム
・日本大学第二中・高等学校 計2回
・杉並区立井草中学校
・練馬区立光が丘第二中学校
・札幌市体育協会・教育委員会(北海道札幌市)
・藤野市講演会(山梨県藤野市)
・駿河トライアスロン大会開会式会場(静岡県)
・蒲原青年会議所(静岡県庵原郡)
・阪急イングス(大阪府) 計2回
・東京電機大学
・星槎学園高等部 さわらびの会
・南足柄中学
・SBS
・日本運輸機構
・国立能登青年の家
・熱海市PTA協議会
・富士通経営研修所 計4回
・タヤマクラブ遊技部会
・ブラザー工業株式会社
・東南置賜PTA連合会
・七尾市立東部中学校
・創和ジャスティック建設株式会社
・千葉県立柏陵高等学校 保護者会
他多数
飯島健二郎 研修風景1
飯島健二郎 研修風景2

飯島健二郎 名言集(コラムより)

理論や知識の先行する中でやはり行き着くところは、継続的な練習と自分に負けない自分の育成だと思う。
練習において、選手個人がどうレースと同じようにその練習ひとつひとつを捉えていけるかが重要なポイントでした。その考え方で、今のランキングや順位、簡単に言えば優劣が決まっているように思えます。結局練習のための練習ではなく、どう本番のレースの為に1日1日の練習を位置付けているか?という意識の高さ、自覚の問題というものを見逃せません。
自分の思考で考える、そして答えを出してゆく、これはアナログ的発想で時間も労力もかかる。遠回りする分、ある意味では無駄に見えるかもしれない。しかし、この無駄が多くの確立性と物事の深さを手にすることができるキーなのだと感じる。
普段A&Aで強化選手の指導にあたる時や、生活の中、そしてオリンピックを狙うような選手達を指導するときでも「人の心の部分がどれだけ大きいか?」と改めて知らされる事があります。
トライアスロン競技が最終的には我慢比べというシンプルなものに戻るとするならば、そしてその競技の内容が苦しければ苦しいほど、人に対しての優しさが必要なのではないかと考えます。何を甘い事をと仰る方も多くいらっしゃるとは思いますが、少なくとも自分の周りには、その心を教えてくれる方々が多くいた…。そして今もなお多くを語らずとも人にエネルギーを与えてくれる方々がいる事を自分は心から感謝したい。
夢に関して言えば、小さい頃見ている夢は希望であり、成人してから見続ける夢は闘いだと思います。それは、見る事は一瞬でも、見続けるためには強い意志がいるからだと思います。夢を見続けることを、ほとんどの人々は一般論の中で揶揄する事も多いと思います。~中略~年を重ねれば当然責任も重くなるし、現実も世の中の仕組みもいやでも知ることになります。その上でもさらに夢を見続ける意志と環境を手にし続けなければなりません。だから闘いなのです。夢は現実を知り、上手くまとまろうとする弱い自分との闘いなのだと思います。こんな話をすると30年来の友人に「皆お前みたいに強くねぇんだよ!」って言われますが、自分の弱い所を嫌と言うほど知っているからこそ、つっぱり続けるのかもしれません。